母親になんてなりたくなかった9
ここ最近はずっと子どもと距離を置きたいと思ってしまう。
笑顔を見せたり声を出すのはかわいいが少し席を離れるだけで泣く。トイレもゆっくり行けない。食事もゆっくりできない。結果つわりの後遺症の逆流性食道炎のような症状も治らない。(こういうストレスが重なって胃が荒れているのだろう)
1日抱っこもしない、おむつも替えない、ミルクもやらない、一緒に風呂にも入らない、世話を全て誰かに任せて自分は一切何もしない、子に触れない日が欲しい。
こんな思いなどを日記に書いていたら思わず涙が溢れて大泣きしていた。この日記は妊娠が分かってから書き始めた。ただの体調記録。読み返せばずっとつわりの苦しみのことばかり。産まれてからは消化器の不調のことと産後のトラブルのこと、子育てのいらいら。
メディアでよく見る楽しそうな子育ての様子を見ると鬱になる。何が楽しいのか。ちっとも楽しくない。楽しくやれない自分が悪いのか。
結婚したら子どもを産む。誰が決めた?
子どもがいない生活は幸せだった。子どもがいると行動が制限される。自由がなくなる。
結婚したら子どもを産むのが当たり前。周囲からの圧、夫からも子がほしいと求められて無理して母親になることを選んでしまった。なぜあの時つよく言い切れなかったのか。こうなることは初めからわかっていた。
産んで後悔するなら最初から産むな。
結婚する前に子どもについてもよく話し合うべきだった。
結局誰のせいでもなく、自分で自分の人生をめちゃくちゃにしている。子はいらない。そう強く思っていたのにまわりに言い切れなかったのだから。
ひとめを気にせず強く生きていられたら。
この人生には後悔しかない。
やり直したい。
もうわたしとしての価値はない。わたしの人生はなくなった。夫と子、家族のために生きる。それが幸せ、という大きな嘘をついてこの先生きるしかないのだろう。
泣きながら子を寝かせて泣きながらここにぐちゃぐちゃな気持ちを書いている。死にたい。家族がこのブログを見たらなんて思うか。子は悲しむだろう。
母親になんてなりたくなかった8
だんだん夫と離婚したくなってきた。
嫌いではなかったはずだし、一緒にいたいと思っていたけれど今すごく離婚したい。
喧嘩したから勢いでとかではない。やはり価値観が合わない。結婚して子どもが産まれて幸せかというとそうではない。ちっとも幸せではない。はたから見たら幸せな家庭かもしれないけれど蓋を開けたらそんなことはない。
わたしが幸せじゃないのに幸せなわけない。夫が1人幸せを感じているだけだ。やりたい仕事をして結婚して子どもを産ませて。自分は何も痛むことも苦しむことなく。
悔しい。わたしは何も手に入れていない。家庭を持つことなんか望んでいなかった。偽りの幸せを手にしただけ。
夫と結婚しなかったらどれだけ幸せだっただろうかと考える。夫と結婚してからわたしは自分を殺してしまっている。
もう子育てにも疲れた。死にたい。
自分が幸せになれないなら生きている意味などない。
離婚するにも金がいる。一人で生きるための。
とにかくこの街から、夫から、子どもから逃げるために働いて金を集めないと。
もう精神がぼろぼろで文章もめちゃくちゃだ。
母親になんてなりたくなかった7
自分が女に生まれてしまったことが不幸の始まりだったと思うほど追い詰められている。
なぜ女性だけにしか子をお腹の中で育てる仕組みが備わっていないのか。
痛みも苦しみも全て降りかかってきた。
生理痛からはじまり、悪阻に陣痛。
なぜ男性は痛みを感じなくてよいのか。不平等だ。
その分女性にはいろいろ社会的サービスがあっていいじゃないかと言われたことがあるが、わたしはレディースデイでやすく映画を見られることに喜びを感じていない。女性にデザートサービスなども嬉しくない。
悪阻で苦しんでいるとき、ご飯をいつも通り普通に食べている夫にいらいらした。わたしはこんなに苦しいのに。子どもが欲しいと言い出したのは夫の方なのに。わたしはいらなかった。
恨んでも仕方ないことなのに夫を恨んでしまった。
男に生まれたかった。
男には男で苦労があるだろうが妊娠出産子育てに比べたらそれくらい。
母親になんてなりたくなかった6
はあ。憂鬱。
毎日毎日子育て。辛すぎる。子どものことを忘れて自分の世界に閉じこもりたい。一人になりたい。独身だった頃に戻りたい。かと言って離婚したいわけではないけれど...
結婚していない兄妹達が羨ましいと思ってしまう。
なぜ女性が子育てをしなければならないのか。夫は育休をとっていない。夫の会社で育休を取った人は少ない。が、数少ない中、同じ部署の先輩が育休を取った。せっかく前例を作ってくれたのに夫は育休を取らなかった。
寝ている時間をうまく使おうと思っても寝る時間が短くて何もできない。
家族がいる間任せようと思っても結局やらないと申し訳ないと思って自分も手を出してしまう。
ひとりの時間が欲しいと思っても実家にいるから必然的に団体行動。ひとりが好きな自分からしたら辛すぎる。車がないと行けない土地に住んでいるため車がないと余計に自由がきかない。逃げ場がない。
朝起きて「はあ今日もまた子育てか」と憂鬱になる。ひとりが好きなわたしは母親は向いていない。早く成人してほしい。
泣きそうだ。
母親になんてなりたくなかった5
わたしにとっての幸せってなんだろうか。
仕事を頑張ってお給料貰うこと。
お金を貯めて趣味に使うこと。
自分が楽しいと思うことをする、それが幸せ。
あまり人のことを考えられない。
一人が好き。一人の時間がないと生きていけない。一人の時間が幸せ。
結婚してからも一人になる時間はたくさんあった。夫も理解してくれた。一人で出かけることも許してくれた。
コロナになってからはそうは行かなかった。ずっと二人でいた。仕事の行き帰りと休憩ぐらいが一人の時間だった。それからすぐに妊娠が発覚。もう自分の時間はないんだなと悲しくなった。
妊娠中は体調が悪く外出などできなかった。家で寝ているしかできなくて辛かった。げっぷと吐き気が止まらない。食べられない。吐いてしまう。身体中痛み。貧血で立っていられず転んだこともあった。これまで普通にできていたことが全くできなくなり自分が自分でないみたいだった。悪阻はこんなに酷いものか。想像以上だった。
妊娠初期の辛さは周りには理解されない。お腹が大きくないから妊婦だと思われない。電車の優先席は妊婦の席ではない。一般的には高齢の方や身体に障害がある方、怪我をしている方に譲るもの、なんだろう。妊婦はあまり優先度が高くない。中には罵声を浴びせる人もいると聞く。
妊婦だから席を譲ってくれなんて思わないが、吐き気が来ると座って落ち着きたかった。電車の中は誰も助けてくれない。みんなスマホに夢中だ。耐えきれず途中下車してホームで吐いたこともあった。もちろん誰も助けてくれない。
妊娠がこんなに辛いならもう死んでしまいたいとさえ思った。大体は悪阻は初期で終わると言われていたが終わってくれなかった。お腹が大きくなり、別のしんどさが現れ、それに加えて悪阻の症状。半年近く体調不良が続いた。頭は元気でやりたいことはたくさん思い浮かぶのに何もできない。悔しくて仕方なかった。
産まれた今も子育てに時間を取られ自分の時間がない。やりたい事などほとんどできない。一人の時間がほしい。何も考えず一人になりたい。泣き声を聞かず、授乳の時間も気にせず、一人で好きなことをしたい。旅行は厳しいにしても近所を散歩をしたり、本を読んだり。仕事にも戻りたい。
夫と暮らす地には親族がいない。お互い縁もゆかりもない地で生活している。夫の仕事の都合で引っ越した。わたしは反対した。わたしにも仕事があったからだ。だから言ったんだ。結局子を産んで苦労することになるのはわたし。「(わたし)のことを考えて転職したい」そう言ってくれたのに、結局自分のことしか考えていない。
出産の時は里帰りをした。里帰りしたら少しは自分の時間があるだろうと思ったが、そんな時間はなかった。母親の古い考えにいらいらする。わたしが悪いみたいな言い方をされたり。もう母親にも頼りたくない。
わたしは誰のために生きているのだろうか。自分のためとは思えない。人のことを気にして生きている。自分がこうしたいと思った方に進んでいない。誰かが指示する方にしか進んでいない。わたしはこんな人生でいいのだろうか。幸せなんだろうか。
母親になんてなりたくなかった4
母親になんてなりたくなかった3
母親になりたくない。というか自分の母親のようにはなりたくなかった。
今日も母親にイライラした。
昔からどれだけわたしが悩んでいても力になってくれたことはなかった。いい母親だと思ったことはない。
悩むのはわたしの考え方が悪い、わたしが変わらなくてはいけない。そう否定され続けた。
気分屋な母親だから、小さい頃は母親の顔色を伺っていた。
わたしには下に兄弟がいる。
長女だからといつもしっかりしなさいと言われてきた。下がどれだけ悪くても「おねえちゃんでしょ!」と怒鳴られ叩かれる。
だんだん「全部自分が悪い。怒られる前に謝ろう。」と思うようになり、大人になってからはずっと謝ってばかりな気がする。自分が悪くなくても、ありがとうと言うべき場面でも、先にごめんなさい、すみませんが自然に出てしまう。
育て方というのは本当に大切だと思う。
母親はストレスを溜めないというか、気にしない性格だ。そして自分が正しいと思っている。いつだって自分がいちばん。周りがどう思おうが関係ない。そうやって図々しく生きていけるのが少し羨ましい。
子育てについても考えは合わない。
わたしなりに頑張ってやっていても小言を言われる。
わたしの気持ちなんてわかってくれない。
昨日今日と子と離れひとりで部屋に篭もっている。子の泣き声を聞くのもうんざり、母親がわたしの子を抱いている姿を見るのも嫌だった。わたしの子に触れないでほしい。それなのに子から離れたい。訳の分からない状況、気持ちはぐちゃぐちゃになっていた。
今日は母親が外出する予定で、母親がいない間、わたしは子を抱いた。
子はわたしにしがみつくようにくっつき、わたしの胸に顔を擦り付けるようにして甘えるような仕草を見せた。まだ0歳児だというのに。
わたしのことがわかるのだろうか。
ミルクを飲む間も何度もわたしの目をじっと見つめていた。いつもは眠ってしまい、あまり目を開けていないのに。飲み終わるまでまっすぐ目を見つめていた。
しばらく子を抱いて寝顔を見ていた。
こうして大人しくしているときはかわいい。
母親が帰ってきたから子を寝かしつけわたしは部屋へ。
わたし自身まだまだ子どもだ。
子を育てる器ではない。
母親のことを許せない。